なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(5)

      「悔い改め」マタイによる福音書3;1-12、2017年11月12日礼拝説教

・昨日私は、教区の基地・自衛隊問題小委員会主催で、紅葉坂教会で開催された琉球新報東京支社報道部

長の新垣毅さんの「沖縄の視点から東アジアの安全保障を考える」という題の講演を聞きました。ここで

新垣毅さんの講演の内容を詳しくお話しすることはできませんが、新垣毅さんは、講演の初めに、日本を

船に譬えて、その日本丸という船が、縦軸を時間的歴史、横軸を空間的世界である海を航海しているとす

ると、日本丸はどのような位置にあるのかと言われました。日本丸は対米従属という方向を選び取ってい

て、それは大変危険な状況にあるのではないかと言うのです。本来船の羅針盤は「共生、平和、人権、

命、民主主義」であるが、日本丸はその羅針盤によって正しく航海していないのではないかという問題提

起をされました。そして講演の最後に「夢やビジョンを描く」ことの大切さについて語られました。新垣

毅さんの「東アジアの安全保障」という点から描いている夢やビジョンは、「東アジア共同体構想」で、

その中で沖縄が交流の担い手・平和の要石の役割を果たすことなのです。そしてI have a dream「私には

夢がある」というマルチン・ルーサー・キングの有名な演説に触れて、講演を閉じました。

・その新垣毅さんの講演を聞きながら、私は現在安倍政権が進めている日本の国の進路を180度変えてい

かないと、「共生、平和、人権、命、民主主義」を大切にした平和な世界にならないのではないかと、改

めて強く感じさせられました。現在の安倍政権は先日のアメリカ大統領トランプの訪日のときにも武器購

入を約束しましたように、アメリカ従属とアメリカとの軍事同盟による軍事力による安全保障を進めてい

ますが、この進路からは「共生、平和、人権、命、民主主義」は生まれません。むしろこの進路の先は死

と滅びではないかと思うのです。

・もう大分前になりますが、「ポセイドン・アドベンチャー」という映画を観たことがあります。この映

画は1972年作の映画です。2006年にこの映画をリメイクした「ポセイドン」という映画がつくられました

が、その元になった「ポセイドン・アドベンチャー」の方です。ご覧になった方もいらっしゃると思いま

すが、豪華客船タイタニック号の沈没をモデルにして作られたパニック映画です。この映画は、地震の津

波によって転覆したポセイドン号の中で最後まで諦めないで生き延びようとして様々な困難を乗り越えて

助かった数名の人たちの物語と言ってよいでしょう。

・ポセイドン号が地震津波によって転覆した時に、船の大食堂では新年を祝うパーティーが行われてい

ました。そのパーティー会場の大食堂には大きなクリスマス・ツリーがありました。転覆した船は船体が

ひっくり返ってしまいます。船の底が一部海上に少し出るような形で、甲板は海の底に向かって沈みまし

た。船客たちのほとんどが生命をうしなうという大惨事でした。乗客の一人であるスコット牧師は、大混

乱が鎮まると奇跡的に助かった人々と共に脱出を試みます。彼に従ったのは9人でした。後の生存者は、

救急隊が来るまでじっとしていた方がいいという事務長の意見に従いました。スコット牧師は、かすかな

がら船内にともる電気があるうちに、船の竜骨、つまり海面に一番近いところにたどりつき、そこで待機

していれば助かるかもしれないと判断しました。上部に進むためには大クリスマス・ツリーを逆に登って

いかなければなりません。10人が登り終わったとき、スコット牧師の意見が正しかったことが証明されま

した。キッチンボイラーが爆発して、残った人々を流してしまいました。

・10人はさまざまな困難を乗り越えて、最後に6人だけ船底にたどり着きます。その間スコット牧師も一

行の進路を阻む破れたスチームパイプのハッチを閉めに行き、ハッチを閉めたのですが、熱さに耐えられ

ず水中に落下して死んでしまいます。船底にたどりついた6人は鉄棒で船底を無我夢中で叩きます。する

と、遠くからかすかに反応が聞こえて、来ていた救助隊によって船底の扉が焼ききられ、6人は助かりま

す。6人を乗せたヘリコプターが大空へと舞い上がっていき、そこで映画は終わります。

・この映画の中で、スコット牧師は、救急隊が来るまでじっと祈って待っていた方がいいという事務長と

彼に従おうとする人たちに対して、「とにかく生きるんだ、生き残るんだ。祈ってないで生きる道を探そ

う」と呼びかけます。そのスコット牧師に従ったのが、牧師を除いて9人だったのです。

・新垣毅さんの話を聞きながら、日本丸という船が羅針盤である「共生、平和、人権、命、民主主義」に

基づいて、生きる道、命の道を見いだす夢とビジョンを語り、それに賭ける人が続くことと、この映画

ポセイドン・アドベンチャー」でスコット牧師が「とにかく生きるんだ、生き残るんだ。祈ってないで

生きる道を探そう」と呼びかけて、それに従った9人の人たちのことが繋がっているように思えてなりま

せんでした。

・その同じことを私は、今日のマタイによる福音書3章1節以下のバプテスマのヨハネの物語を読んでい

て思わされました。バプテスマのヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた」と民衆に語り掛けました。

このバプテスマのヨハネの言葉が、ポセイドン・アドベンチャーのスコット牧師の「とにかく生きるん

だ、生き残るんだ。祈ってないで生きる道を探そう」という言葉とが重なって聞こえるのです。

バプテスマのヨハネの「悔い改めよ」という言葉を聞いて、荒野にいた彼の下に来た人々は、マタイ福

音書では「エルサレムユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとき

来」たと記されていますが、ユダヤの全住民からすれば、わずかな人々だったでしょう。

バプテスマのヨハネは、人々に今までの生き方の方向転換を求めて、悔い改めを人々に迫ったのです。

何故なら、バプテスマのヨハネは、このままではユダヤの国もユダヤの人々も滅んでしまうという危機感

を抱いていたからでしょう。船とその船に乗っている人々が船の沈没によって死滅してしまうように、こ

の世とそこに生きる人々が死滅してしまうという危機感です。ローマの支配とエルサレムの神殿支配の下

に苦しんでいて、そこから這い上がろうともしない民衆を見て、バプテスマのヨハネは、ユダヤの人々は

生きていながらに死んでいるのだと、思ったのかも知れません。

・人が本当に生きるということは、命の道を求めて生きるときに、生きると言えるのではないでしょう

か。

ポセイドン・アドベンチャーで、生き延びようとした10人の中で、最後まで生き延びたのは6人です。1

0人が水中を通らなければならなかったとき、スコット牧師がロープを張るために飛び込んでいきます

が、途中で落下物の下敷きになってしまいます。娘の頃水泳選手であったベルが、異変を感じて水中に飛

び込み、スコット牧師を助けて、目的地に泳ぎ着きますが、彼女は心臓発作に襲われ、息を引き取ってし

まいます。

・このように途中で挫折することがあるかも知れません。しかし、彼女の選んだ道が命への道であるとす

れば、彼女は命の道に自分を捧げたことになるでしょう。ハッチを閉めにいって、熱さのために手を離し

て、落ちて水中に沈んて死んだスコット牧師も同じです。

バプテスマのヨハネの「悔い改めよ。天の国は近づいた」という呼びかけは、「命の道へと方向転換し

なさい」という呼びかけとして聞くことができるでしょう。

・先日座間のアパートから9人の死体が発見された事件は、私たちを驚愕させる事件でした。この事件が

起きた背景には若い人の中に自殺願望を持っている人が多いという現実があります。健康社会学者の河合

薫は、次のように述べています。「「本気で死のうと思っている人はひとりもいなかった」ーーー。9人

を殺害・死体遺棄したとして逮捕された男は、取り調べでそう語りました。

55万5千人――、これは過去一年以内に自殺未遂を経験した人の数です(推計)。

これまで「自殺未遂者は自殺者数の10倍程度」とされてきました。ところが日本財団が行なった調査

で、20倍近くいることがわかりました。年代別では20代がもっとも多く、次いで30代と若い世代が

続いています。自殺者全体のボリュームゾーンは40代~50代の男性です。しかしながら先に示したと

おり自殺未遂者は若者がダントツに多く(23万人程度)、40代の1・8倍もいます(13万人程

度)。また、15~34歳までの年代別死因トップは「自殺」で、20代では亡くなる人の半数を占めて

います。

他の先進国のトップは「事故死」。自殺が占める割合も10%程度。日本では「自ら命を絶つ」若者が突

出しているのです。世界的にみても「若者の自殺」が極めて深刻な問題であることは、これらの数字から

も明らかです」と。

・日本の社会は若者たちにとっては、先進国の中では断トツに生きずらい社会になっているのではないか

と思います。自ら命を絶ち、引きこもりやニートの若者たちが沢山いる日本の社会、格差が広がり、競争

がますます厳しくなっています。精神の病んでいる人も沢山います。幼い子どものを殺す事件も後を絶ち

ません。

・そのような身近な若者の現実を思う時に、日本丸は死と滅びに向かって邁進しているように思えてなり

ません。ポセイドン・アドベンチャーではありませんが、このまま突き進んでいけば、沈没を免れないか

も知れません。

・そういう状況の中で生きている私たちにも、バプテスマのヨハネの語った「悔い改めよ。天の国は近づ

いた」という呼びかけが聞こえてきます。天の国に通じる命の道に方向転換して生きよと。その命に通じ

る、縦軸を時間としての歴史、横軸を空間としての世界として海を航海する船の羅針盤を、新垣毅さんは

「共生、平和、人権、命、民主主義」と言いました。多数の横暴ではなく、少数者の人権を擁護し、命を

大切にして、人が共に生きる平和な社会を創り出すために働くことが、私たちに求められていることでは

ないでしょうか。人権感覚を磨き、それぞれ与えられている課題と向かい合い、命の道を共に歩んでいき

たいと切に願います。

バプテスマのヨハネは、人々に命の道への回心を訴えましたが、彼の後から来る方は、霊の力をもっ

て、そしてその霊の力を私たちにも分け与えてくださり、その命の道を共に歩んでくださる方です。それ

がイエスです。イエスと共に現代にあって福音書で描かれている、病者や悪霊に取りつかれている人が癒

され、苦しむ人、貧しい人が神の国を信じて立ち上がって生きていく、イエスの道行きを共に歩んでいく

ことができれば幸いに思います。