なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(341)

      船越通信癸械苅院   。横娃隠掲12月3日   北村慈郎


・今日からアドベントです。今年も主イエス・キリストの降誕の時であるクリスマスを迎えようとしてい

ます。通年という時間の区切りと重なる一年ごとの教会歴という別の時間の区切りがあることに深い意味

を覚えます。旧約聖書には、古代イスラエルの民族史にもイスラエル民族の歴史に重なる形で神の救済史

が記されています。イエスの生涯と教会の誕生という教会歴も旧約の神の救済史も、信仰の時間というこ

とができるでしょう。歴史的な時間に信仰の時間が交差していることを見失わないようにしたいと思いま

す。2017年という今ここでのクリスマスの出来事って、何なのだろうか? そのことを思いめぐらし

ながら、今年もクリスマスを迎えたいと願います。


・11月は私にとっては多忙な月でした。ただ多忙というのではなく、責任のある集会が立て続けにあり

ました。11月11日(土)には基地・自衛隊問題小委員会主催の講演会(「沖縄の視点から東アジアの

安全保障を考える」講師:琉球新報東京支社報道部長・新垣毅氏)がありました。この講演会で私は司会

をしました。19日(日)~20日(月)は岩国で沖縄から米軍基地撤去を求め、教団「合同のとらえな

おし」をすすめる連絡会(以下、求め、すすめる連絡会)の全国集会がありました。私は連絡会の世話人

代表として出席し、集会で挨拶をしました。23日(木・祝)は戦責告白50周年を覚える神奈川教区集

会が午前10時半から午後4時まで紅葉坂教会でありました。この集会にも発案の段階からかかわり、実

行委員の一人でもありました。26日(日)は「合同のとらえなおしについて」の公開講演会があり、こ

れにもオリエンテーション委員として責任がありました。ということで、11月が終わって、少しほっと

していますが、これからはクリスマスです。


・11月29日(水)には、連れ合いに誘われて、一日はとバスのイルミネーションを観るツアーに行っ

てきました。参加者24名で、中には幼児のいる家族も参加していました。イルミネーションですから、

暗くならないと点灯しません。バスツアーは午前11時10分新宿の安田生命ビル前集合です。暗くなる

までは山梨の道の駅のようなところでズワイガニ食べ放題の昼食と勝沼のワイナリー見学がありました。

参加者のツアー参加の目的の中には第一にズワイガニ食べ放題という人もありました。ツアー旅行の特長

なのか、団体行動をしますが、参加者は他の参加者とは赤の他人という感じで、たまたま交通の便のため

に一緒に一つのバスに乗っているだけという感じです。私たちは自家用車を持っていませんので、今まで

も数回バスツアーに行っていますが、いつもそういう感じです。イルミネーションは相模湖と読売ランド

の2か所でした。どちらも人工美で、それなりに楽しませてくれますが、私はバスから見た山梨の山々の

紅葉の美しさに感動させられました。このバスツアーで少し気分を変えることが出来たのか、重くなって

いた体が少し楽になりました。


・26日(日)午後4時から蒔田教会でありました、公開講演会「合同のとらえなおし」については、オ

リエンテーション委員会と沖縄交流委員会の共催で、牧野邦久牧師を講師に迎えて開催しました。この集

会は最初オリエンテーション委員会で企画し、沖縄交流委員会に呼び掛けて、沖縄交流委員会の「合同問

題協議会」を兼ねて、二つの委員会の共催になった次第です。牧野牧師の講演は多岐にわたるものでした

が、私は二つのことを印象深くお聞きしました。一つは、牧野牧師は神奈川教区の横浜二ツ橋教会にいる

ころから、5月末に開催される沖縄教区総会に必ず傍聴に行っておりました。隠退して山口に移ってから

も昨年までは沖縄教区総会の傍聴を続けていました。ところが、今年は考えることがあって、沖縄教区総

会の傍聴はしなかったと言うのです。それは2年前の沖縄で開かれたに求め、すすめる連絡会の全国集会

の時に、沖縄に聞き、学ぶだけでは、沖縄から収奪しているに過ぎないのではないかという問題提起を受

けて、自分のいる所で何ができるかを、主体的に取り組んでいくことの大切さを知らされたからだという

のです。牧野牧師のお話を聞きながら、他の人ではなく、自分が与えられている場で自分が何をするかが

問われているということではないかと思いました。それが一つです。もう一つは、聖書解釈や福音理解と

も関係しますが、個人の慰めや励ましの言葉が福音ではなく、福音の中心は解放にあるのではないかとい

うことを、牧野牧師は仰っていました。それとの関連で今神学に求められているのは神論ではなく、神論

を踏まえた人間論による言葉ではないかという主旨のことをおっしゃっていました。例えば創造物語によ

る神の天地創造及び人間創造も、神の創造というよりも人間の創造ではないか、人間の言葉として受け止

めていくことが大切だということです。これは牧野牧師の講演を聞いた私の理解ですので、正確に牧野牧

師の言いたいことを言い表しているかどうかは分かりませんが、私の理解した限りにおいては、上記のよ

うな内容のことをおっしゃっていたように思います。沖縄で起きている米軍兵士による性暴力にしろ、辺

野古の新基地建設にしろ、沖縄問題なのではなく、自分の問題として、自分が責任をもって自分の場所で

何ができるか、それを問い、行動していくことこそが大事なのだということではないかと思うのです。沖

縄のために何かしなければという発想から生まれる行動には、23日の戦責告白50周年記念集会で講演

して下さった一色哲さんがおっしゃった、「善意のすれ違い」が、どうしても起こってしまうのではない

でしょうか。


・30日(木)には午後4時半から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会がありました。当日までこ

の日に委員会がある事をすっかり失念していました。この週は私の支援会の出前集会の記録をまとめる作

業に専念していたからです。あわてて委員会に伺いましたが、20分ほど遅れての参加になってしまいま

した。基地・自衛隊問題小委員会では、11月11日の講演会の反省もしました。新垣毅さんの講演は分

かりやすくよかったという委員の意見がほとんどでした。ただ随分前からチラシを作って、神奈川教区の

諸教会・伝道所には配布し、他の集会ごとにアッピールをさせてもらいましたが、参加者が40名弱と少

なかったのが残念でした。私自身は新垣さんの講演をお聞きして、沖縄の自己決定権と沖縄の独立との違

いはどうなのだろうかという問いを与えられました。