なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(371)

      船越通信、癸械沓院   。横娃隠固7月8日   北村慈郎


・1日の日曜日には、礼拝に名古屋の堀川伝道所の信徒のMさんが出席しました。Mさんは横浜市西区浅間

町に住んでいて、以前堀川伝道所の牧師であった、滋賀にいる私の友人と連絡したときに、私の友人から

船越教会を紹介されたということでいらっしゃいました。この日は礼拝後しばらくMさんと私とでお話し

して、その後みなさんとお茶の時を共にして帰って行かれました。その後役員会を行いました。役員会で

は、「キリストの風」集会からのアンケートについて(6月17日の船越通信368を参照ください)、8月1

2日(日)の礼拝後礼拝出席者の方で懇談の時を持つことにしました。また、海上自衛隊が船越で建設中

の新庁舎(海上作戦センター)にヘリポートを併設するとした問題で、道を挟んで田浦中学校があり、ま

た船越町をはじめ周辺は住宅密集地ですので、「ヘリポート計画撤回」の運動が起こっています(7月1日

船越通信370を参照)。その情報収集を行った上で検討して、できることがあれば協力していくことに

しました。この日は役員会を終えた後、次週の準備をしてから、午後3時過ぎに船越教会から鶴巻に向か

いました。


・1日の日曜日船越教会から鶴巻に帰る頃から左ひざが、歩いていると角度によって痛み出しました。そ

れまでも歩くと両膝にちょっとした違和感を覚えるようになっていましたが、加齢のためではと思って、

気にしないようにしてきました。ところが日曜日船越教会から鶴巻に帰る時には、自然に左ひざをかばっ

て歩くようになっていました。3日(火)は農伝に行く日で、農伝は里山にありますので、野津田のバス

停から坂を登って行かなければなりません。筋肉痛・関節痛の塗り薬を左ひざに塗って、サポーターをし

て出かけました。この日は農伝を終えて、教区の常置委員会に行くことになっていました。この日の常置

委員会は、教区総会が終わって初めての会でしたので、それほど議論のある議案はなく、午後8時過ぎに

は終わりました。この日は足の具合もあり、有志の会食は失礼して、そのまま連れ合いと一緒に帰りまし

た。それでも途中横浜駅で夕食を食べて、鶴巻に着いたのは午後10時過ぎでした。


・6日(金)は午後6時半から紅葉坂教会で支援会の世話人・事務局会がありました。この日の世話人

事務局会ではS牧師が作ってくれた、私の戒規免職問題を分かり易く多くの方々に伝えるためのリーフ

レットの原案を検討しましました。このリーフレットは教団総会までに完成させたいと思っています。そ

の他今月中旬に印刷発送予定の通信第21号について、10月の教団総会会期中の全国交流集会について、キ

リスト新聞意見広告について話し合いました。


・6月23日の沖縄慰霊の日に朗読された、沖縄県浦添市立港川中学校3年 相良倫子さんの詩 「私は、

生きている」を下記に転載しておきます。

【私は、生きている。マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、草

の匂いを鼻孔に感じ、遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。/私は今、生きている。私の生きるこの

島は、何と美しい島だろう。青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、山羊の嘶き、小川のせせ

らぎ、畑に続く小道、/萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。私はなんと美しい

島に、生まれ育ったのだろう。/ありったけの私の感覚器で、感受性で、島を感じる。心がじわりと熱く

なる。私はこの瞬間を、生きている。この瞬間の素晴らしさが この瞬間の愛おしさが/今と言う安らぎ

となり 私の中に広がりゆく。たまらなく込み上げるこの気持ちを どう表現しよう。大切な今よ かけ

がえのない今よ 私の生きる、この今よ。/七十三年前、私の愛する島が、死の島と化したあの日。小鳥

のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。/青く広がる大空は、鉄

の雨に見えなくなった。草の匂いは死臭で濁り、光り輝いていた海の水面は、戦艦で埋め尽くされた。/

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、燃えつくされた民家、火薬の匂い。着弾に揺れる大地。血に

染まった海。魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。/みんな、生きていたの

だ。私と何も変わらない、懸命に生きる命だったのだ。彼らの人生を、それぞれの未来を。疑うことな

く、思い描いていたんだ。/家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。/それなのに。壊され

て、奪われた。生きた時代が違う。ただ、それだけで。無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々

を。/摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。私は手

を強く握り、誓う。奪われた命に想いを馳せて、心から、誓う。/私が生きている限り、こんなにもたく

さんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人

間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。/

生きる事、命を大切にできることを、誰からも侵されない世界を創ること。平和を創造する努力を、厭わ

ないことを。/あなたも、感じるだろう。この島の美しさを。あなたも、知っているだろう。この島の悲

しみを。/そして、あなたも、私と同じこの瞬間(とき)を 一緒に生きているのだ。今を一緒に、生き

ているのだ。/だから、きっとわかるはずなんだ。戦争の無意味さを。本当の平和を。頭じゃなくて、そ

の心で。戦力という愚かな力を持つことで、得られる平和など、本当は無いことを。/平和とは、あたり

前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きることだということを。私は、今を生きている。みんなと

一緒に。/そして、これからも生きていく。一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。/なぜな

ら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ。大好きな、私の島。誇り高

き、みんなの島。そして、この島に生きる、すべての命。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。こ

れからも、共に生きてゆこう。この青に囲まれた美しい故郷から。真の平和を発進しよう。/一人一人が

立ち上がって、みんなで未来を歩んでいこう。/摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。過去と

現在、未来の共鳴。鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。命よ響け。生きゆく未来に。私は今を、生きてい

く】。