なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(38)

   「思い込みが人を殺す」 マタイ8:1-4 2019年6月2日(日)船越教会礼拝説教


・マタイによる福音書8章、9章には、5章から7章までがイエスの教えとしての山上の説教が記されてい

たのに対して、イエスの奇跡と言われていますイエスの癒しの業が記されています。


・今日はその8章の最初の部分、1節から4節の「らい病人の癒し」の記事から、語りかけを聞きたいと思

います。


・今私は「らい病人の癒し」と言いましたが、新共同訳聖書の中には「らい病」ではなく「重い皮膚病」

と訳し変えているものもあると思います。


・これは1996年4月に日本において長年ハンセン病者を苦しめてきた「らい予防法」(1931年成立)の廃

止にともなって、既に新共同訳聖書が完成していてギリシャ語の新約聖書の「レプラ」を「らい病」と訳

していたのを、「重い皮膚病」と表記変更を求める動きが強くなって、そのように変えられたのです。


・ですから、新共同訳聖書でも、1993年版では「らい病」となっていますが、1998年版では「重い皮膚

病」と表記されています。


・しかし、私はマタイによる福音書8章1-4節のイエスの癒しは、「重い皮膚病を患っている人の癒し」

というよりも、聖書の記事としては、「らい病人の癒し」として受け止める方がよいのではないかと思い

ますので、このところを「らい病人の癒し」と言わせてもらいます。 


・今、私たちがこのマタイによる福音書の「らい病人の癒し」の箇所を読むとき、ご存知の方も多いと思

いますが、日本におけるハンセン病問題を抜きにして、この箇所を読むことはできません。


ハンセン病の国家賠償訴訟が、2001年5月11日熊本地裁の原告全面勝利判決を勝ち取り、同判決に対す

る国の控訴断念によって同年(2001年)5月25日判決が確定しました。


・このことによって90年にわたるハンセン病者に対する国の隔離撲滅政策の非が明らかになりました。


・この政策がハンセン病者にとっていかに酷い非人間的な政策だったかということは、「胎児標本問題」

として問われたことからも明らかです。強制的に堕胎させられたハンセン病者の胎児が標本として残され

ていて、その胎児が誰の胎児であるのか明らかにされないままであるという問題です。


・私は、1967年の夏に瀬戸内海の長島愛生園に行ったことがあります。その頃はまだ船で行き来していま

したが、今は橋がかかっているそうです。


・この夏神学校の夏期伝道実習ということで、私は岡山蕃山町教会に行きました。その時の蕃山町教会牧

師は内藤留幸さんでした。教団で私が戒規免職処分を受けた時の総幹事です。


・蕃山町教会の青年会で長島愛生園の対岸にあります虫明伝道所に行き、そこから船で長島愛生園に行き

ました。


・長島愛生園には曙教会があって、その教会でハンセン病の当事者で牧師の仕事をされている方から、い

ろいろとお話を伺い、長島愛生園の建物や敷地を案内してもらいました。


・その時お聞きしたお話の中で今でも覚えているのは、ハンセン病が治って社会復帰していく方の中に

は、病気で不自由になった手の指に握力がなく、ドアのノブを動かすことが出来なくて、アパートで一人

で生活することが出来ず、社会復帰しても、また長島愛生園に帰って来る人がいるということでした。


ハンセン病の方々の厳しさは、社会的な差別だけではなく、病で冒された体の不自由さもあるのかと、

その時は強く思わされました。 


・この長島愛生園が作られたのは「らい予防法」ができた前年の1930年で、初めての国立療養所です。


・1930年代から国の政策でハンセン病者の強制隔離と断種によるハンセン病の撲滅が進められていきま

す。


・それは1931年9月の「満州」事変勃発以降、日本のファシズム化が急激に進み、富国強兵政策の障害と

見なされるハンセン病者の囲い込みが「民族浄化」を掲げて強力に推し進められていったことと並行して

います。


・医学的には既に1930年代には、日本でもハンセン病は伝染性がそう強くない病気で、わざわざ隔離する

必要がないことが明らかになっていたにも拘らず、隔離撲滅政策が進められ、それを光田健輔(けんす

け)のような人が積極的に支えていくわけです。


・このハンセン病の隔離撲滅政策は、ハンセン病の人に対するある種の存在の抹消ではないかと思い

ます。


・マタイによる福音書のイエスによる「らい病人の癒し」の背景にある当時のユダヤ社会でも、基本的に

は同じでありました。


・「らい病は古代イスラエルにおいて最も恐れられていた病気の一つでした。ヘブライ語のらい病人は

「打たれた者」という意味です。その言葉は、神の罰として打たれた者というニュアンスを含んでいまし

た。


・つまり、この病気は医学的な事柄というより宗教的な評価が下される病でありました。その診断は祭司

に委ねられていたのです(レビ記13章参照)。


・医学の十分に進んでいなかった当時は、「らい病」には通常皮膚病やかびも含まれていました。らい病

と診断された者はイスラエルの共同体から隔離され、一般の人が近づかないように『汚れた者』と呼ばわ

らねばなりませんでした。患者に触(さわ)られた者は『汚れた者』となるからです(レビ記22:5)。


・あるラビによりますと、患者に2メートル以上近づいてはならず、患者が風上にいる場合は50メート

ルほども離れていなければならないとされました」(以上、新共同訳注解書より)。


・また、みんなが住んでいる町や村の中にはらい病人は住めませんでしたので、町や村の外の洞窟のよう

なところで生活しなければなりませんでした。道を通るときに、人が来たときには、自分から、「らい病

ですから近づかないでください」と言わなければならなかったと言われています。


・らい病になると、同じ人間として自分たちの仲間として周囲の人から受け止められなくなり、「汚れた

者」として排除の対象とされるようになるのです。


・そういう社会では、らい病人は生きながら死んでいる人なのです。


・本人にとってどんなに辛く苦しいことか、想像を絶するほどです。


・そういう背景を考えますと、このマタイによる福音書の記事は驚きそのものです。2節、3節を岩波の佐

藤研さんの訳でもう一度読んで見ます。


・「すると見よ、一人のらい病人が近寄って来て、彼にひれ伏して言った、『主よ、もしあなた様がお望

みならば、清めていただけるのですが』。すると彼は手を伸ばして彼に触れ、言った『もちろんだ、清く

されよ』。するとすぐさま、彼のらいは清められた」。


・このらい病人とイエスの会話は面白いですね。


・らい病人の言葉は、病気を治してくださいという嘆願の言葉と言うよりも、ある種のイエスに対する信

仰告白のように思えます。「ひれ伏して、・・・『主よ、もしあなたがお望みならば、清めていただけるの

ですが』」と言ったというのですから。


・それに対して、イエスの方も、「手を伸ばして彼に触れ、・・・『もちろん、清くされよ』」と言ったと

いうのです。


・本田哲郎さんは、このマタイによる福音書の箇所の表題を「らい病の人は、イエスが『けがれ』を共有

したときに、清められた」と記しています。


・イエスはらい病人を対象化していません。ユダヤの社会からは「汚れた者」として疎外されていたその

人の「汚れ」をイエスは共有することによって、らい病人を一人の人間として真正面から受け止めておら

れるのです。


・すると「清め」が起こり、癒されたというのです。


・荒井英子さんは『ハンセン病キリスト教』で、1930年代「救癩報国、祖国浄化」の「患者狩り旋風」

の吹き荒れる中、敢然と強制隔離・断種に反対し、患者の通院治療を守り通した小笠原登と良心的な多く

キリスト者の違いをこのように述べています。


・「小笠原の発言を注意深く見るとき、決して『人間』としての患者から視点がずれていないことに気づ

く。(光田健輔の流れをくむ)林文雄にしても小川正子にしても、良心的な多くのキリスト者の場合、患

者から「救癩」そのものに視点が移っていっている。・・・『人間』から『使命』への視座の転換であ

る。小笠原の場合は、ひたすら患者の人権に焦点が結ばれている」と。


キリスト者の場合、患者その人の人権を尊重するというよりは、らい患者を救済するにはどうしたらい

いのかという、自分の使命の方に視点がある、と言うのです。


・この人間としてのらい患者その人から、キリスト者としての自分の使命の方に視点が移行することに

よって、らい患者その人を、キリスト者である自分の使命としての「救癩」運動のための手段・道具のよ

うに扱ってしまいかねないということなのでしょう。


・良心的なキリスト者としてらい患者の人たちと関わった林文雄にしろ、小川正子にしろ、二人にはその

ようなところがあったのではないか、と言うのです。


・それに対して、小笠原登の場合は、そうではなく、「ひたすら患者の人権に焦点が結ばれている」と言

うのです。


・先程私は、「イエスはらい病人を対象化していません。ユダヤの社会からは「汚れた者」として疎外さ

れていたその人の「汚れ」をイエスは共有することによって、らい病人を一人の人間として真正面から受

け止めておられるのです」と申し上げました。


・小笠原登にもイエスと同じらい病人との関わりを貫こうとしたところがあったのではないでしょうか。


・以前に、いじめ、少年犯罪、虐待などに苦しむ子どもたちの人権救援活動に弁護士として携わっていま

す坪井節子さんの講演を伺ったことがあります。その講演で坪井さんは人権に関する三つの規定について

話されました。


・その人権に関する三つの規定とは、(1)ありのままのあなたで生きていいんだよ。(2)ひとりぼっ

ちじゃないんだよ。(3)あなたの人生はあなたが歩くんだよ。です。


・イエスに癒されたらい病人は、「汚れた者」というレッテルを貼られて、ユダヤ社会の中で自分の存在

が否定されていた時に、イエスと出会いました。イエスは他のユダア人のようにはらい病人を「汚れた

者」として分離し、隔離しようとはしませんでした。


・むしろ、らい病人が負わされていた「汚れ」を共に負い、らい病人のパートナーなって「(1)ありの

ままのあなたで生きていいんだよ。(2)ひとりぼっちじゃないんだよ。(3)あなたの人生はあなたが

歩くんだよ。」というメッセージをらい病人に送ったのではないでしょうか。そのことは、人間としての

尊厳を持って、イエスと共に生きる者として、このらい病人はイエスに招かれたのではないでしょうか。


・この「らい病人の癒し」の物語から、そのようなイエスの招きが私たちに向けても与えられていること

を覚えたいと思います。現代もイエスの生きたユダヤ社会と本質的には変わらない生きづらさに私たちも

苦しめられていますが、イエスと出会った人々の間に始まった新しい人間関係を他者と共に生きていきた

いと願います。