なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

野草を食べる

今年はじめて教会の方からフキノトウをいただいて、天ぷらにして食べた。以前名古屋時代開拓伝道していた場所が郊外だったので、春になるといろいろな野草を食べたことがある。フキノトウはもちろん、つくしを佃煮のように煮て食べたり、タンポポの葉っぱをサラダにして食べたこともある。野生のたらの芽を天ぷらにして食べたこともある。

現在私が牧師として在任している教会には狭い庭があるが、食べられる野草はない。唯一数年前に植えたタラの木があり、その新芽をとって、天ぷらにして食べるくらいである。

我が家の食卓には、野草が出てくることはめったにない。でも出てくると、何か懐かしい感じがする。

私は横浜で戦後の生活を過ごした。戦災で家が焼けたので、バラック家に住んで、戦後の食糧難の時代、ひもじい思いをして過ごした。母が当時小田急の長後辺りの農家の友人を頼って買出し行った。2度ほど母と一緒に私も連れて行ってもらったことがある。

その農家の生活は、焼け出された私たちの家族の生活とは比べ物にならないくらいに物質的には豊かだったように思う。うらやましく感じたのを記憶している。

古代イスラエルの社会では、孤児や寡婦、寄留者に対して優しいところがあった。人々は収穫の時にも落穂を残して、隅から隅まで一つ残さず刈り取ることはしなかったようだ。落穂によって貧しい人が飢えをしのぐことができるように、法律で決められていたからである。実際にどれだけ古代イスラエルの民がその法律を守ったのかは分からないとしても、相当程度社会的弱者の保護救済がなされていたのではないか。

この4月から自立支援法が施行されると、当事者の負担が増えるようになると言われている。社会としては逆ではないか。昔読んだ羽仁五郎の本に、ルネッサンスの時代イタリアのフィレンツェでは、町で一番立派な建物が孤児院であったと書かれていた。
感動した。

最も弱い立場の人に最も手厚い保護の手が差し伸べられる社会こそ、誰もが安心していられる社会ではないか?