なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

気持ちの持ち次第?

「人間は気持ちの持ち方一つで現実を良くも悪くも受け取ることができる。」

そうだ、とも言えそうだし、そんなことはない、とも言えそうだ。

だが、確かに雨の日のことを思うと、気持ちの持ち方が結構大きいことに気付く。ああ、今日は雨か。いやだな。そう思う人がいるだろう。しかし、ああ、この雨で枯れかかった草木は命を吹き返すだろう。田畑はこの雨を喜んでいるに違いない。よかった。よかった。そう思う人もいるだろう。前者の人は、その雨の一日を憂鬱に過ごすかも知れない。後者の人は、草木を思い田畑を思い、その日一日心豊かに過ごすかもしれない。

私がこのことを知らされたのは、村瀬学の本の一節からだった。どんな題名の本であったか忘れてしまった。最近では、数日前のこの日記でも紹介した斎藤茂太の本の中に、ウィリアム・ジェームスという実践心理学者の「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ」という言葉が引用されていた。この言葉も同じことを語っているように思う。

もちろん気持ちの持ち方次第で現実を良くも悪くも受け取ることが出来るということが、我々が経験するすべての現実に当てはまるかどうかという疑問は残る。例えばドメスティック・バイオレンスを受けている女性、虐待を受けている子ども。このような女性や子どもにも、このことが言えるのかどうか。言えないように思える。

何事も人間の経験は一般化、普遍化できないということか。真理の一面には触れることができても、真理そのものを人間が所有することはできないからなのであろう。その限界を踏まえて、言葉が開く世界を味わいたいものである。