なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

未来→現在←過去

昨日の朝テレビで、日本人の女性で、高校を出て中国で映画の勉強をし、主席で卒業して、中国の映画に出演している方のインタヴューがありました。その中でその方は、日本人として中国にいると、かつての日中関係の問題、日本の中国侵略の歴史が日中の友好的な関係を妨げていることを、ひしひしと感じる。しかし、自分は過去を変えることはできないが、将来は今どのように生きていくかによって過去とは違う形に変えることが出来る。私はそのために頑張りたいと、その中国映画の日本人の女優さんは言っていました。26歳の方と言っていましたが、大変しっかりした考え方をもっていて感心させられました。

過去は変えられないが、将来は過去から現在とは違った形に、私たちがどう生きるかによって変えることができる。みなさんはどう思われるでしょうか。

私は海を見るのが好きです。2ヶ月に一回鎌倉静養館という経費有料老人ホームで行われています聖書研究会に行っていますので、お天気のいい日には、七里ガ浜から稲村ガ崎にかけて広がる海岸線の砂浜を歩いたりすることがあります。幸運な時には、七里ガ浜方面には江ノ島とその右側に富士山がきれいに見えるときがあります。この砂浜は太平洋の大海に開けていて、その広がる海の向こうから、耳を澄ますと何かが聞こえてくるようです。未知の世界が向こうにはあり、それが未来の世界のようにも思えるときがあります。その砂浜に立っている私は、空間的な境界線と時間的な境界線にいるように思われます。そこが私たちの現在という場所と時間ではないでしょうか。私たちは今在る世界の場所と今までの営々と築かれてきた人類の歴史社会を背負って、今ここという現在に立っているのであります。と同時に、私たちは来るべき世界を望み見ながら、新しい未来の時のおとずれを刻々と感じながら、今ここという現在に立って生きているのであります。

エスさまは、バプテスマすなわち(洗礼者)ヨハネとご自分を比べて、その違いをこのように群集に向かって語られました。洗礼者ヨハネは過去からの現在を最も誠実に生きる人だ。私は未来からの現在を神の勝利への絶対的な希望を持って生きる人だと。

洗礼者ヨハネは人々に悔い改めのバプテスマ施しました。イエスさまは聖霊と火によるバプテスマを授ける方である(マタイ3:12)と、洗礼者ヨハネ自身が証言している方です。聖霊は神の息吹であり、神の息であり風であり命です。火は罪をすべて焼き尽くします。聖霊と火によって、利己的で自分を神のように中心にして考え、生きる罪人である私たち一人一人を、神の幼児のように神を母として父として慕い、神に全幅の信頼をもって生きる者にしてくれる神の力をイエスさまは信じる者に下さるのです。

ですから、最初に紹介しました中国で映画の仕事をしている日本人の女優さんは、ある意味で天国の住人として生きようとしているのではないでしょうか。日本と中国の和解を先取りして、そのような将来を築くために、過去に犯した日本の過ちを反省して、日本人と中国人がお互いに理解して平和に生きられるように、変えられるものは変えていきたいと言われているからです。

神の約束していてくださるあるべき私たちすべての未来から現在をどう生きるか、私たち一人一人に問われているのではないでしょうか。