なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(146)

 今日は「父北村雨垂とその作品(146)」を掲載します。

 さて、昨日は私の裁判の第2回口頭弁論と報告集会がありました。遠方からも多くの人が駆けつけてく

ださり、98席の傍聴席はいっぱいになりました。また報告集会には、この寒い中120名を越える方々がご

参くださいました。本当にありがとうございました。

 口頭弁論では原告(私)側から岡田尚弁護士の意見陳述と、被告教団側の島林樹弁護士から意見陳述が

あり、それをもって一度弁論が集結し、この案件が法律上の争訟に値するものかどうかという、この裁判

の入り口の問題での裁判官の判断が出ることになりました。その判決の日が、来年の2月25日(月)午後2

時から(東京地裁の多分今回同様103号法廷(98名の傍聴者))になりました。12月13日に支援会の事務

局会を開いて、今後の対応を協議しますが、まず早急にしなければならないことは、判決の時までに裁判

所に公正な裁判を求める要請書を出すことです。その様式のサンプルを弁護士からお聞きして、13日の事

務局会で確認し、その後メール等で全国の支援者の方々へお願いすることになると思います。弁護士のお

話では、日本基督教団の所属する信徒にかぎらず、一般の人の署名もOKということですので、広くできる

限り多くの人の署名を集めたいと思っています。その際はどうぞよろしくお願いいたします。

 なお、今回の口頭弁論での教団側の島林樹弁護士の意見陳述、および教団側から裁判所に提出された

「教憲・教規について」の学者の意見書についても、その内容があまりにもひどいものですので、何らか

の形で多くの方々に読んでいただき、現教団執行部の教団に対する考え方を批判していきたいと思ってい

ます。

              

               父北村雨垂とその作品(146)

  
  原稿日記「一葉」から(その29)

    野菊   1979年(昭和54年)12月1日作

      その2

 私は 日日の太陽に抗議するが
 
 君はさうした権利を忘れて
 
 「否」というのか
 
 透明な梯子によって、神と握手するのか
 
 デカルトは「存在」と逆立ちして歩るき
 
 カントやヘーゲルは 魔法(開かず)の匣を抱かえて歩るき
 
 ニーチェ マルクス アルトウル・サルトル
 
 ヤスパースからハイディッガーも 歩るく
 
 西田も 眉を 唾で梳く
 
 野菊は 北吹く影で 静かに
 
 太陽 と 戯れている


    スフィンクス  1979年(昭和54年)12月2日

 寝ている 大洋の背中に
 
 タンカーが 滑べる
 
 「何者か」と

 飛び魚が ジャンプする
 
 追いつく 追い越す

 月は 衣(ころも)を 一枚また一枚と剥がされて

 やがて 姿を消した

 水夫が 両手を擧げて 欠伸をする

 何と 平和な朝であらう

 何と 退屈な 平和であらう

 砂漠で 獨りのスフィンクス

 エジプトの永遠と生死の謎を見つめている

 獅子の毛並みをして


   1979年(昭和54年)12月17日作

 私の懐中には時間と空間が

 ひそかに 隠されている

 それが放れまいと

 私を 戦々恐々とさせる

 なんとも人間とは 哀れな存在であらう

 上野のゴリラは 与えられた確かな食事で

 あとは、唯 天に向って大きな欠伸をみせて

 居る 満足している

 スミレとタンポポ

 巧みに北風の影(隅)に隠れて

 悪童達を 見上げている。


 
  1979年(昭和54年)12月25日


 タンカーの非情を月に みおつくし

 逞ましき夕陽を噛みつ 粥を啜りつ