なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(147)

 今日は「父北村雨垂とその作品(147)」を掲載します。下記の父のノートの中には、ヨハネ福音書

1章のプロローグの一部がそのままの引用として記されています。父は、ヨハネ福音書のプロローグの部

分に関心を持っていたようです。
 

               父北村雨垂とその作品(147)

  
  原稿日記「一葉」から(その30)

  硝子の風船  1979年(昭和54年)12月27日

 私が 私を確認したのは

 硝子(ガラス)の風船の眞ん中であった

 硝子の風船の眞ん中には

 私のほかにも 無数の私が居る

 同じ質量で 長さ(計器)も重さ(衝器)も拒否した

 硝子の風船には

 時間と空間が 一部の隙間(すき)もなく
 
 万遍なく 満たされている

 壊れも萎みもしないで

 硝子の風船は

 「世界」であると自から 命名した

 依然として無数の私は 皆 私と同様に

 硝子の風船の

 中心を占めていた

 そして 無数の 私は

 確認することに努めたが 千年二千年も

 それは全く無為に近かった

 彼等には唯ETVAS だけが 残っていた

 硝子の風船は 依然として

 月や 太陽や 天の河まで抱いてそのまま

 無数の 私 とココトバを拒否しつづけている

 そして それを世界に宣言したのも

 硝子の 風船の中であった

 風船の外で

 神と コトバが 淋しそうにほほえんで居る

   
    ヨハネによる福音書  日本聖書協会

 第一章 始めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。

すべてのものはこれによって出来た。できたもののうち一つとしてこれによらないものはなかった。この

言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は暗の中に輝いている。そして暗はこれに勝たなか

った。


(この部分に川柳研究に発表した「難解性の問題について」が入っているが、長い文章なので別途記しま

す。)


     梅原竜三郎の富士    1980年(昭和55年91月29日


 画伯 梅原竜三郎の富士の姿勢は

 高さと幅を拒否して

 雲と風の陰謀を監視して

 火口は沈黙の底から

 永遠なんて謎だとして

 笑ひたおして さて

 その雄大を誇示して

 そして 安心して いない

 季節を忘れずに帰て来た隼が影を

 隼の影が

 新幹線列車こだま、ひかりの屋根屋根を駆け抜けて

 やがて ほんものの富士に姿を消した

 ほんものの富士も歴史と芸術にはやはり

 従順であるか

 ほんものの富士は歴史と芸術の重さを天秤に

 かけようとはしない。
    

 自然に於ける力の自覚的限定即人間       1980年(昭和55年)2月6日

 砂浜に松千本や 東風の芽を          1980年(昭和55年)1月11日