今日は、「父北村雨垂とその作品(170)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(170)
原稿日記「四季・第一號」から(その8)
臨済録 文庫版 示衆 p.104に
入一切境 随処無事。 境不能換、とあるも前記と同じく純すいに現象そのものをそれとしてそのまま
純粋意識に於いてその対象を観る態度を強調している。
1983年(昭和58年)2月26日
臨済録 示衆 p.107 中に、今時学人不得、蓋為名字認為解 以下抄死老僕の話 ― 道是玄旨など
と云っているがこの言は私を含めて、臨済の痛い叱訳であると受けとめるのみである。
1983年(昭和58年)2月26日
臨済録、岩波文庫版 p.77 示衆10に現象観と深い関係あり時を得て検討すること。
1983年(昭和58年)3月7日
これまでに前項に於いて差別と無差別と記したが、この上無差別を平等と訂正する方が好ましい様であ
る。
1983年(昭和58年)3月7日
デカルトはコギト・エルゴ・スムで世界の哲学者を嬉しがらせたが、東洋に於ける禅者は差別と無差別
即現象と基体なる認識のもとに「無」若しくは「空」と観じ、宗教を重視して修業即ち実践と理念を強調
して「悟り」即ち精神を安定にした。
ショーペンハウエルは世界意志と彼の世界観を表明したが、私のかすかな記憶ではあるが、死をひと一
倍に怖れたとこれは何かの機会に覚えたのであるが、皮肉と云うほかにない。
1983年(昭和58年)2月28日
臨済録 岩波文庫版 p.109 示衆に
眞仏無形、眞道無体、眞法無相、三法混融、和合一處、訳辦不得、喚作忙忙、業識衆生。
とある。これも前記の現象とそれを因としての果なる世界と観る理念を指考しての偈であると見て佳い
であらう。
1983年(昭和58年)2月28日
存在か非存在かは意識の働きによる現象であって、その認識は意識の二次的現象としての心である。故
に存在、非存在は意識の内に包含されていることを意義している。禅学に於いては(これは禅学に限らず
哲学する在来の学者も同じである)意識そのものを心と解し、意識が「こころ」の源泉であると分析され
ていなかった様に考えられる。換言すれば、プラトンからヤスパースへと発展したノエマとノエシルの関
係であり「意識」と「心」がノエマ→ノエシスが最も近親関係にあるものと私は考えている。
1983年(昭和58年)3月1日
心生種種法生、心滅種種法滅、一心不生、萬法無咎(臨済録中示衆 岩波文庫p.117)。
前頁に記した意識と心に就いての明らかに臨済の思想が私の指摘した事項を表している。
1983年(昭和58年)3月1日
禅者は「心」を意識の働きによる意識の二次的生成態たる意識を認識していなかった二次的意識なる意
識態即ち根源的第一意識から生成した第二次意識態が共に「心」と考えていた。私はこれを第一次意識即
ち根元的意識とその機能による第二次的意識を仮に第一次意識を即ち根元的意識A意識又は意識Aと呼
び、第二次に生成した意識を「B意識」又は「意識B」と命名することにした。即ちこのB意識が一般に
云われる「心」であり、禅者も亦A及びBなる二意識を等しく「心」として誤って認識していたのではな
いだらうか。然りとすればこれは一つの新しい命題ともなる訳であるが、或は禅者から三十(?)を喰う
ことであるかも知れない。
1983年(昭和58年)3月2日
禅学に於ける命題「無」或は「空」等は右の意識の行程を見落として「心」とし、あたかもその代償の
如くに公案、或は頌又は偈等々を発案して実行してき来たとも観られる訳である。いづれ重要要件である
「修行」については充分に考慮する機を待つ可く深く考慮に入れては居るが体調にいささか不安があるこ
とを記しておかねばならぬであらう。
1983年(昭和58年)3月2日