なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(170)

 2月25日の裁判の判決では、私の訴えは法律上の争訟に値しないということですべて却下されました。

その後、私たち夫婦への気遣いを多くの方からいただいています。そのことを心から感謝いたします。た

だ私自身は、全くと言っていいくらいに、この判決に対しては平静に受け止めました。昨年の12月3日の

第2回口頭弁論後の報告での挨拶でも申し上げあげましたが(支援会通信5号に掲載)、この裁判を含め、

教団への問いかけは健康が許す限り最後まで貫徹していきたいと思っていますので、これから控訴し高裁

での審理になりますが、どうぞご支援をよろしくお願いいたします。

 さて今日は、「父北村雨垂とその作品(170)」を掲載します。


               父北村雨垂とその作品(171)
  
  原稿日記「四季・第一號」から(その9)

 臨済録岩波文庫版p.149に於いて竜牙が臨済に祖師西来意を問い、臨済に禅枝を求められて過し即座

にその禅枝で打たれ、その後に翠微に同じ問いを発して求められた蒲団を過した直後にその蒲団で打たれ

た一段を竜牙はこれについて門下に問われた時も肯うことは即ち深く肯うが要且西来の意は無いと云う

が、ここに禅学に於ける勘弁の場に於いての禅者間の裡に「悟り」の構造を観ること又は観ようと志向し

ても的がはずれている様であり、唯修行による直観が目立つだけに止まっていると考えられる。但し修行

が如何に重要な条件であると云う一事は絶対的な項目で在ることは確かである。

                         1983年(昭和58年)3月7日

 菩提達磨や龍樹その他中国や日本に於ける禅者の悟りは、それらの禅者の各々の生涯の一機会に於いて

眞の「無」乃至は「空」を観じた即ちその「眞なる無或は空を観じた」と云う「眞」或は「空」は全く純

粋無垢の無であり或は空であって、今日迄の思想家、哲学者や科学者の考えている「無」とか「空」とか

とは大きく「隔たり」をもつ「無」であり「空」である。それが眞の禅者の悟り得た即ち絶対的機会に於

いて捉え得た「眞なる無」であり、「眞なる空」で、科学者或は哲学者の云うところの容器の如き「も

の」とは絶対に異なる「無」或は「空」 ― 眞なる「無」、眞なる「空」である。それは「生涯の中の

或る」一時期に於ける「機会」に於いて観じたところの「眞の無」であり「眞の空」なのである。そして

その機会はあくまでも「信仰」とその実践であり、それによって捉え得た幸運であり即ち「機会」でもあ

ったと私は考えざるを得ない。
                         1983年(昭和58年)4月6日

 『心』が意識の働きである以上菩提達磨の「無心論」も竜樹の「空論」もまた意識そのもの即ち肉体の

持つ機能を否定することになる。それはデカルトのコギト・アルゴ・スムも亦意識である以上当然否定さ

れることになる。亦吾々の持っている肉体そのものをも否定することになり、即ちこの世界空間に於ける

時間の中の一瞬なる世界空間に於いての單なる微視的存在であり、幻覚であり、仮想として全く採るに足

りない即ち『無』或は『空』でしか無いと観たことであらう。いわゆる現象的差別的仮想として実存を否

定した訳である。若し仮りにこの論理を即ち彼等の主張する命題を肯定せざるを得ないであらう。そして

私が特に「あらう」と不安定的な言辞を用いたが、そのことろに深い意味を持たせておきたいとあえて要

求するものがある。
                         1983年(昭和58年)3月9日
 臨済の四料揀(岩波文庫版36頁、中公版禅語録205頁)に於いて聖山師はその評釈に於いて僅かながら

批判を加えているが、師の云う「臨済の四つの区別けは少し粗い」様に云っているが、それはそれでよい

のであらうが、私の考えでは恰も方位(東西南北)或は四季(春夏秋冬)の様に四個の中心を指摘した表

現であって、各々のその間の事項はいずれも充たされ含まれているのであって、そこに禅者らしい人間の

意識と対象或は主観と客観の関係を巧みな粗さで解明したものと見たい。いわゆる粗の内に細が深く且つ

親密に云い表されているところに禅の伝統が極めて明らかに尽くされていると云ひたいのである。

                         1983年(昭和58年)3月13日

 私が菩提達磨を祖とする「眞理なる無」即平等とする禅学思想の極点即ち「悟り」は、一般思想家や哲

学者、科学者等の指摘する「無」、特に西田幾多郎を始めとする田辺元等の「絶対無」が最も近いとされ

るが、それらの意識の中にも尚一般に考えられた「無」の対象とするところの存在陰影が残照の様に後を

引いてゐることを考えざるを得ない。即ちこれらの思想家、哲学者とそれに科学者をも含めた有対無のい

わゆる絶対関係が解消されない事をみとめざるを得ないのである。即ち存在と非存在関係はこの意味に於

いての絶対的関係であると観ぜざるを得ない。

 而るに菩提達磨以降の眞の禅者はこの「有無」の絶対関係を放棄することを悟ったのである。即ち有と

の絶対関係を單なる相対関係に降下することに気づいたのである。それが即ち現象を差別としその対象と

して平等とした訳である。言葉を換えて云えば、平等と差別には存在と非存在即ち有無の絶対関係は揚棄

つまりAufheben、棚上げして、有対無関係をも無也とした新しい無即ち眞理なる無→無なる法を把え得た

ものと、これが私が得た考察である。
                          1983年(昭和58年)4月7日
                               (午前4時の発想)